20.「一対の子音」と「古事記の話の筋」


古事記」の話の筋って、変なところが多くて、どうしてそういう風な筋になるんだろう、と誰でも思う。
        

ヤマトタケル」(=「倭建命」(やまとたけるの・みこと))の話があるのは、「景行天皇」のところだけど、そこにある「ネギ」(泥疑)と云うコトバのことを第11回目の「アレクサンドロスの後のこととロ−マ」(1)で話した。その回の中程にある。


その「ネギ」のあたりの分からなさは、エコ−であるラテン詞「ネコ−」(necō)でもって意味が通るようになる。

けど、それから後の話しの筋が何か今一つわからないものがある。


その「ネギ」というコトバの意味の取り違えで、ヤマトタケルは兄の「大碓命(おほうすの・みこと)」を殺してしまい、お父さんである景行天皇の誤解を招いて、それからというもの悲運と苦難の半生を歩むことになるのだけど、実は、


  その後の半生のできごとは、この「ネギ」というコトバを
  成す「一対の子音」である「NG」(「NK」も含む)が導く、


という形で話の筋が編まれているの。常識から云ってどうもいまひとつ分からない、という風なのは、そういう風にして話の筋が編まれているから。



話の筋を導いているものにはもう一つあって、その「NG,NK」と、共々互いに追いつ縋(すが)りつしながら、一緒になってヤマトタケルの半生の出来事を編んでいる。それは一対の子音「TK」。


その「TK」は、景行天皇のところの初めの方にある、


  坂手池(さかてのいけ)を作りて、
  すなわち竹をその堤(つつみ)に植ゑ(え)たまひき


の「竹、タケ」(TaKe)と、そして「作りて(ツクりて)」の「ツク」(TuKu)との、その一対の子音「TK」に始る。
                          

「坂手池」(さかてのいけ)の「サカテ」だけど、「天の逆手(あまの・さかて)というコトバがあって、手をたたく時に、掌(てのひら)でなく甲の方でもってたたくと、人を呪うとされているけど、この「坂手」はヤマトタケルの半生の「悲運」を暗示しているようだ。「天の逆手」は、体の後ろの方で手をたたくことだとか、いろいろに云われている。


実はこの「坂手池を作りて」の「作りて(ツクりて)」が、「酒折宮(さかをりのみや)」での問い歌、「新治筑波(にひばり・つくば)」の「つくば」の「ツク」につながる。「ツク」はむかしの発音を今風に書くと、前にも述べたように「トゥク」になる。


「坂手池を作りて」の「作りて(ツクりて)」には、第18回目に述べた「二鷹」のエコ−であるギリシア詞「トゥケ−」(tuchē)があって、「運命」を予告する響きが込められている。               


だから、ヤマトタケル酒折宮で休憩して、


  新治筑波を過ぎて、幾夜か寝つる


と問い歌を詠んだとき、その「筑波」(ツクば)には、つくづくとおのれの来し方を振り返ってみて、その悲運に溜め息を付く、その感慨が込められている。御火焼老人(みひたきのおきな)は、タケルの問い歌に込められたその悲しみを察したの。



その「筑波」の「ツク」を、後に日本書紀の方で「六雁(むつかり)」は「おつくり」の「ツク」に掛けて、お父さまの景行天皇をお慰めし、更にその「おつくり」の「ツク」を今度は「あさかやま」の歌の娘子(をとめ)が、酒折宮での答歌「かがなべて」の「カガ」を「影(かげ)さへ見ゆる山の井」の「カゲ」としつつ、「さかづき(盃)」の「ツキ」でもって承けて、それで「葛城王」(かづらきのおほきみ)は一体いくつ掛けがあるか分からないその歌にすっかり感心してしまうのだけれど、とにかく、そういうわけで、


  ヤマトタケルの半生は、一対の子音「NK,NG」
  と「TK,TG」とが共に織り成す、


という風になっているの。


具体的にどういう風なことかと云うと、最初に「NK,NG」について云うと、初めの音が「ナ行」、次の音が「カ行、ガ行」であるような、ちょっと考えて思い付く、そういう風な出来のいくつものコトバ、そのほとんどを使ってその半生のできごとの話が編まれて行く。


「NK,NG」のコトバというと、例えば「投げ」(ナゲ)とか、「嘆く」(ナゲく)とか、「逃げ」(ニゲ)とか、「抜き」(ヌキ)とかあるけれど、そうやってざっと考えて思い付く「NK,NG」のコトバのほとんどありったけを使って話が展開される。

有名な「くさなぎの剣(たち)」(草那芸剣)の「ナギ」もその「NG」の脈の一環としてある。



「TK,TG」についても同じで、初めの音が「タ行」、次の音が「カ行、ガ行」であるようないろいろなコトバが使われ、例えば、上に述べた「竹、タケ」、「作る、ツクる」、「筑波、ツクば」のほか、「建く、タケく」とか「火焼、ひタキ」とか「継ぎて、ツギて」とかが、「NK,NG」のコトバともども、話を織り成して行く。


                             

ヤマトタケルの話のクライマックスになるのが、上に述べた甲斐国(かひ(い)のくに)、酒折宮(さかをりのみや)での「新治筑波」の問答歌で、そこで「NK,NG」と「TK,TG」とが一堂に会する形となり、それでもって「九夜十日」のことが出てくる。


詳しいことは、そのうちに少しづつ話すけど、手短かに云うと、火焼(ひたき)の老人(おきな)の答歌、


  かがなべて、夜(よ)には九夜(ここのよ)、日には十日を


というその「九夜十日」は、このばあい「印欧語族」(=「インド・ヨ−ロッパ語族」)の諸言語のコトバで、数の「九」と「十」、そして「夜」と「日」の義である、というそういういろいろなコトバが「NK,NG」と「TK,TG」の音の縁でもって出会う場になっている。


でも、「九」のことについては、「NG」がそれに当たると云うこと、「九月」を「ナガつき」と云うことでもってすぐ分かる。


この答歌でもって、「やまとことば」を構成するのに関与している印欧語族のいろいろな言語にどういうものがあるかが分かる。(*印欧語に詳しい人は「脚注」を見て下さい。)
           



古事記のこのヤマトタケルの話では、新治筑波の問答歌に出てくる印欧語のコトバを別にして、「36個前後」の「NK,NG」のヤマトコトバが使われていて、これに比べて「TK,TG」のヤマトコトバの数は少なくて、16個使われている。


「NK,NG」の36個のうち、14個は話の「オモテ」に出ていて、残り22個は話の「ウラ」にある。(個数は、同じ動詞の違う活用形を数えにいれるか、同じコトバで違うところで使われているのを数えに入れるかどうかで多少ちがってくるので、プラス2くらいの勘定もある。)
                                 

「話のウラにある」、というのはどういうことかと云うと、先回話した人麻呂の「この岡に草刈る小子(わらは)・・」の歌の「駒、コマ」のようにしてあるもので、読む人が自分で考えて、「話のこのくだりには裏にこういうコトバがあるな」と思わなければ見えてこないコトバで、読む人がそう思わなければ無いも同じ、という、そういうコトバ。だから「古事記」は不思議な書き物だ。読む人がそのウラのコトバを想わなければ、成り立たない書物なの。 


「NK,NG」の「オモテ」と「ウラ」の併せて36個のコトバ、それらを挙げてみるには「N」と「K,G」のおのおのに、いろいろな風に「ア、イ、ウ、エ、オ」の母音を付けて行けばいいのだけれど、しっかりと挙げる方法として、「ナ行音」と「カ行、ガ行音」の「総当たり戦」のような「表」を作るといい。


縦罫の左と、横罫の上の各々に、「ナ行」の「ナニヌネノ」と「カ、ガ行」の「カキクケコ / ガギグゲゴ」を充てて、総当たりの形で「ナカ・ナガ、ナキ・ナギ、ナク・ナグ・・」、「ニカ・ニガ、ニキ・ニギ、ニク・ニグ・・」、・・・、という具合に「表」の升目を埋めて行く。
                     

そうすると、「NK,NG」を含む仮名三音のコトバも含めて、



  「ナカ、中」「ナガ、長」「ナガめ、眺め」とか、

  「ナキ、泣き」「ナキ、無き」「ナキ、亡き」「ナギ、凪」とか、

  「ニキ、和」「ニギる、握る」とか、

  「ヌカ、額」「ヌキ、抜き」「ヌク、抜く」
          「ヌグ、脱ぐ」「ヌグふ、拭ふ」とか、



そういったコトバができて行く。もちろん空欄になるところもわずかにあって、「ネケ・ネゲ」とか「ノゲ」とかは思い付くコトバが無いけど・・ こういったコトバをことごとく使って、古事記ヤマトタケルの半生の物語を編んでいる。それが古事記の「話術」で、このヤマトタケルのところで一番はっきりとしている。
 

次の回に、「オモテ」と「ウラ」のコトバがどういう風にしてあるか話すね。



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*「脚注」:


これからまだずっと遠回りして、いつ話せるかわからないので、印欧語に親しい人に早めに云っておきます。
    
                     
「九夜十日」がいかに冴えた答えであるかは、次の通り -- 「NK,NG」: Lat. nox, noct-, Gk. nuks(夜); e.g. OE. nigon, OS. nigun, etc.(九). 「TK,TG」: e.g. OE. dāg, etc.(日); Lat. decem, Gk. deka(十).


「問い歌」の方の「新治」(にひばり)の「新」は「義」でもって: Opers. nōg ; e.g. OS. nigi, MHG. nige. このNGは実は「ネギ(泥疑)」のNGから引いていて、それを伏せつつ、答歌「夜、九」のNGを引き出すことができる糸口にしている。


「九夜十日」は、印欧語の上記各派(ゲルマン派についてはその各派もしくはその近親)が、「九、夜」と「十、日」の各々の比較表で云うと、[k/x,h], [g/w]のことを踏まえつつ、同時共存していて初めて、「たすき掛け」のような形で成り立つ。当時、今の印欧語学に劣らないくらいの認識が、比較的高い常識としてもうあったようなの。


これら印欧諸語と古トルコ語、それからこれからおおまかに特定していくセム語のこと、アレクサンドロス、ロ−マ帝国の版図のことなどを考え併せて、「ヤマト連合」の歴史地理的な位置範囲を推定して行くことができる、いろいろな専門分野の人たちに共同してもらって、もうその作業を始めて欲しい、っておじさん云ってた。