25. ヤマトタケルの話の筋(5) 九夜十日(2)


先回、「九夜十日」について説明を始めたけど、あまり細かに話すと却って分かりにくくなるということもあるので、今日はごく簡単に整理してみて、それからいろいろと必要なところの説明を足して行ってみるね。


下の方に「印欧語」ということをあまり聞いたことが無い人のために一応その概略を説明しておくことにする。


「九夜十日」の事をゲルマン派の言語の一つ、「古サクソン語」とそして「ラテン・ギリシア語」に代表させて説明を試みると、下の比較のようにとてもシンプルな形で分かる。


「古サクソン語」は、古い英語と親戚筋にあたり、今のドイツの北の地方で話されていた。古い英語のコトバを例にとってもいいのだけど、英語は混ざっているところがあって複雑らしいから、「古サクソン語」の方でもって説明する。


やまとことばの技法が相手にするのは、いづれもそのコトバの頭から二つの子音で、しっぽの音は無視していい。

(略号で表すばあいは、「OS.」が古サクソン語(Old Saxon)、「Lat.」がラテン語、「Gk.」がギリシア語。)


 (表1)

 
 (NK,NG)

  「九」  古サクソン語  nigun (ニグん)  : nigu- (ニグ、NG)

  「夜」  ラテン語    noks (ノクす)  : nok- (ノク、NK)

       ギリシャ語   nuks (ヌクす)   :  nuk- (ヌク、NK)

                   

 (TK,DG)

  「十」  ラテン語    dekem (デケむ)  : deke- (デケ、DK)

       ギリシャ語   deka (デカ)   :  deka (デカ、DK)

  「日」  古サクソン語   dag (ダグ)    :  dag  (ダグ、DG)




たったこれだけのことなんだけど・・ 「九夜」は、上に述べたように、ゲルマン語の一例としての「古サクソン語」と「ラテン・ギリシア語」の「NK,NG」のコトバでできている、と説明することができる。


「十日」の方も「ラテン・ギリシャ語」と「古サクソン語」の「DK,DG」のコトバでもって説明できる。もっとも「TK,TG」の「T」は「D」になっているけど、それは先回も云ったけど、単なる清音と濁音のことで、やまとことばではそれは問題無い。


ラテン語の「夜」は「noks」と書いたけど、普通は「nox」(x=ks)と書くし、「十」の「dekem」の方も普通は「decem」と書くけれど、ここでは、分かりやすく「k」を使って書いた。


「九・夜」では「古サクソン詞−ラテン・ギリシャ詞」の順になり、「十・日」では「ラテン・ギリシア詞−古サクソン詞」の順になって、逆になる。



ここで、はじめに云ったように、「印欧語」、つまり「インド・ヨ−ロッパ語」についてざっと説明しておく。
   

「印欧語」は、今の「欧州全般」、「イラン」、そして「インド」で古今使われている言語を互いに縁の深いものとして、ひとまとめにして呼ぶ名で、その中のそれぞれのグル−プの呼び方、分類の仕方は場合によって多少異なったりする。


ここではあまり分類的に正確になろうとせずに、溶け込みやすい風に言うので、「何々派」と言ったり、「何々語」と言ったりしてまちまちになる。おおよそは「ギリシャ語」、そして「イタリア派」とも呼ばれる「ラテン語」、それに「イラン派」とも呼ばれる「ペルシャ語」、そしてインドの昔の「サンスクリット語」、それから、紀元4世紀に欧州へと移動して「ゲルマン族の大移動」として有名な「ゲルマン派」と呼ばれるグル−プ、などの諸言語があって、そのゲルマン派には、古い時代の英語、サクソン語、等、そして、今の言語で云えば英語、ドイツ語、オランダ語、デンマ−ク語、スエ−デン語、等がある。又、ロシア語などの「スラブ派」もある。


この言語族に属するいろいろな言語には、それらのおおもとになった言語があったと考えられて、それが上のようないろいろなグル−プに分かれて行く時に、発音が一定の法則にしたがって変化していった。この法則はそうとう厳密なところまで分かっていて、それは年代の違う文献を調べたり方言を調べたりして、或るコトバの変化を歴史的時間や地理的な違いによって調べ、そして時間をさかのぼりながら理論的に辿って見出だされて来た。
    

はじめにそういう法則性があることが分かってきたのは19世紀のことだけれども、「グリム童話」でよく知られている「グリム兄弟」が、ドイツのいろいろな地方へ行って、そこに伝わる昔話や童話を聞いているうちに、同じコトバと考えられるコトバが地方によって異なる言い方、発音を持っていて、そしてその違いには一定の法則があることに気がついた。


お兄さんの「ヤーコプ・グリム」がそれを整理して、「グリムの法則」と云われる。その後、そういう法則のようなものはただドイツ語の方言の間だけではなく、欧州、西アジア、インドの古今のいろいろな言語のコトバの間にもあることが分かった。


例えば英語の「夢」の義の


  「ドゥリ−ム」(dream)


が、ドイツ語では、


  「トゥラウム」(traum)


になって、ドイツ語の「t」が英語では「d」になっている、といったことなど。              


変化はしていても、その変化が厳密な法則性によっている、ということでもって、それら諸言語を一つの大きな「インド・ヨ−ロッパ語族」という仲間として考えられるようになった、と、こういう風になっている。
                              

それを理論的に推し進めていくと、文献が無いかなり昔の時代のそのコトバの発音まで一応推定することができる。でもそれはあくまで「推定」。でもかなり詳しいところまで行っている。


推定される元のコトバの形は「基」(base、ベ−ス)と呼ばれ、さらに大元近くへとさかのぼった「共通基」(common base)というものがある。今は、いい加減な推測を可能な限り排除するので、あまり「根」(root)ということは言われないようだ。「基」や「共通基」は「推定形」であるので、そのコトバの「詞形」、つまりその「綴り」の前には必ず、「星印」(アステリスク)の「*」が付けられる。




それで、「九夜十日」のことを簡単に云うと、その印欧諸語の中でのコトバの詞形の違いを応用した「洒落」が見られると云うこと。


つまり19世紀に「グリム兄弟」が発見したと似たようなことが、「ヤマト」の人々は自分達の間で互いに使われているコトバとコトバとの間にあることを既に知っていて、それでそれをヤマトタケルの話の脈に沿う音を拾う形で「九夜十日」という「洒落」に使った、という、そういうことなの。


先回、「九夜十日」のことの四分の三は、辞書を引くこともなく、ほとんど手ぶらで解ける、と書いたけれども、本当だ。


つまり、「十」にはラテン語の「デケム」(decem)が充てられているけれど、一年の「月」の「デッセンバ−」(December)は前にも云ったように、もともとは「十番目」の月、ということで、「decem-」は英語では「デッセム」と発音して、その「c」は[s]の発音になっているけれど、もとのラテン語では[k]の音だから、「デケム」(decem,「十」)なんだ。その「デケ」の部分が「DK」になっている。


水など液体の量の単位の「デシリットル」というのは、1リットルの「十分の一」ということで、「デシ」(deci-)はその「十分の一」の意味だけれど、この「デシ」(deci-)も、もともとはその「c」を[k]と発音するラテン詞「デキムス」(decimus, =「十分の一」)に由来していて、この「デキムス」は「十」の義の「デケム」(decem)から来ている、という具合。


上の(表2)にある古サクソン語の「tehan」(テハン、「十」)に近いのは、古い英語の「tien」(ティエン)で、これが今の英語の「ten」(テン)になる。「テハン」は「TK,DG」とは少し遠いから、それでラテン詞の「decem」の出番になっている。




「夜」の義のラテン詞は英語「ノクタ−ン」(nocturn, 夜想曲)から説明できて、その「noct-」(夜の)のおわりの「t」を切り捨てた「noc-」(=nok)のその「NK」を採る、ということ。


そして「日」については、英語の「day」は近親の古サクソン語の「ダグ」(dag)の「g」が「y」に変った形と考えていいことや、それに「博多どんたく」がオランダ語の「ゾン・ダグ」(zondag, 日曜日)から来ていて、古サクソン語のその「ダグ」とつながる、と云ったこと、そういうことをちょっと知るだけで、「十日」の「日」のことは、ゲルマン語のコトバで「DG」の音のものを採っているということが分かり、そしてそれは「御火焼の老人」(みひタキのおきな)の「タキ」(TK)と掛け合っている。


多少は解説を加えながらだけれども、こうやって「九夜十日」の「九、夜、十、日」の四つの内、「夜、十、日」の三つは、上のようにして、わたしたちに身近なコトバから簡単に理解できるの。

           

あと残るのは「九」で、これは英語ではもちろん「nine」だけれど、このコトバの兄弟で「NK,NG」の形になっている印欧語のコトバは、わたしたちの身近にはないから、そういう観点では、糸口については手ぶらというわけには行かず、語源(=詞源)辞書を参照しなければならない。でも、この「九」のばあいには、却ってやまとことばの中にヒントがある。それは、


  「九月」を「ナガつき」と呼ぶ


というそのこと。


語源辞書を調べて見ると、


  古サクソン語 「nigun」 (ニグん、「九」) :  nigu- (NG)


がある。それでそれを「九夜」の「九」に充てみたのが(表1)だ。


これで「九、夜、十、日」の全部がそろった。




ヤマトタケルの問い歌はとても短いものだけれども、その中に火焼の老人の答えの糸口となる「音」がすべて含まれている。


先回、ヤマトタケルは「幾夜か寝つる」と「夜の数」を問うているのに、火焼の老人は余計なことに「日の数」を添えて答えている、と云った。


それは、おきなはタケルの心の中に弟橘姫とその最後の歌にある「火」のことがある、と察したので、「燃やす」という義の「焚く、タク」のその「タク」の音につながる「日」、つまり古サクソン語で云えば、「ダグ」(dag)のことを添えたということ。

                     
弟橘姫は、タケルがその任を全うして、そのことを父景行天皇に報告する、そして「ネギ」のコトバのことから招いてしまった父の誤解と怒りを解いてもらう、ということをひたすら願って海に沈んだ。今、東国(あづまのくに)を平定し終え、ここ酒折宮で一息入れて来し方を顧みるに、かがり火はあかあかと輝いて、その火がいやが上にも姫の最後の歌を思い出させ、その姫を失った心の空白をどうしようもない。その切ない思いを火焼の老人は、タケルの問い歌に込められた「火」や「燃える」というコトバから察した。その「火」や「燃える」ということがどこで分かるかと云うと、


  新治筑波を過ぎて、幾夜か寝つる


で、その


  「新治(にひばり)」の「バリ」 (BR)

  「筑波(つくば)」の「ツク」 (TK)、

  「過ぎて」の「スギ」 (SG)、

  「(幾)夜(よ)か」の「ヨカ」 (YK)


の各々でもってそれとわかる。これら全部に「火」に関わるエコ−と掛けとがある。「エコ−」と「掛け」の違いは、前回述べたように「やまと語彙」の範囲内で分かるか、それとも「汎やまと語彙」にまで拡げてみてみないとわからない、の違いがあるだけ。
                             

四番目の「ヨカ」から説明すると、このばあい、「タカ、鷹」(TK)と「トゥケ−、運」(TK)の時のように、ちょっと母音が離れていて分かりにくいところがあるけど、


  「幾夜(ヨ)カ」の「ヨカ」の「YK」は、「焼(ヤ)ク」


に掛けている。そして、「火焼(ヒ・タキ)」と「武日(タケ・ヒ)」の「ヒ」と「タキ、タケ」との関わり、又「火焼(ひたき)ということ自身から、


  「ツクば」の「ツク」の「TK」は、「焼(タ)ク」


に掛けている。「武日(タケ・ヒ)」の「日」は、技法としてちょっと急ぎすぎ、短絡的すぎるので、ここでは古事記の記述を中心として考え、「火焼(ひたき)」ということからじっくりと考えてみる。
       

それで、


  「バリ」(にひバリ)の「BR」


は「火」のコトバを呼んでいるということ、身近な外語のコトバで分かるだろうか。この「にひバリ」の「バリ」はもともと「ハリ(治)」と清音だから、「B」を今仮に「F」に変えてみて「FR」とすれば分かりやすいと思うけれど・・ 英語のコトバである。


実際にその英語のコトバの古い形に由来しているか否かは別問題として、印欧語の「火」の義のコトバの形から「R」を落とした形であるのが、わたしたちの、


  「ヒ,火」 (H)


なの。そして英語のそのコトバは、


  fire


そのあたりのこまかなことはあとに回す。

        

で、ここで「スギ」(SG)にある「火」や「燃える」の義のエコ−のことを話しておかなければならない。

そもそも、


  「酒折宮(サカをりのみや)」の「サカ」 (SK)


ということが既に、そのエコ−が「燃えること」という義のコトバになっている。


それに、野焼きにあったところが


  「相武(サガむ)」 (SG)


だった。その「SG」が問い歌の中で、


  「過ぎて」の「スギ」 (SG)


として出ている。こうして上の一連のことは、「SK,SG」の脈にある。


この脈をもう少し細かに見てみると、「相武(さがむ)」から「酒折」に至る間に、「足柄」の「坂本(サカもと)」を通っていて、そしてタケルは亡き弟橘媛を思い出して、そこの


  「坂(サカ)を上って」、


そして、


  「叫(サケ)んだ」。


ここのところは、


  「・・・と詔云(の)りたまひき」


としるされているけど、


  「叫(サケ)び(たまひき)」


という「SK」のコトバが「ウラ」のコトバになっていると見る。貴人はみだりに大声を出さないもの、ということで「叫ぶ」というコトバを用いることをはばかっている、ということもあるだろうけど、「(刀を)抜く」の前の「脱(ヌ)グ」「拭(ヌグ)ふ」と同じく、話の筋に沿う「ウラ」のコトバとしてあるものと考えられるの。
                

それで、「相武(サガむ)」の野焼き以来のことを書き上げてみると、


   相武(サガむ)    SG

   坂本(サカもと)   SK

   坂(サカ)      SK

   叫ぶ(サケぶ)    SK

   酒折(サカをり)    SK

   過ぎて(スギて)   SG


という風に「SK,SG」が並ぶ。


それに、「相武(さがむ)」で「野焼き」の難に遭ってから、ヤマトタケルは仕返しとしてそこの「国造(くにのみやつこ)」を斬り滅ぼして焼いた、それでその地を「焼遣(やきづ)」と云うようになった、と書かれている。そこが今の


  「焼津(やいづ)」


このように「SK,SG」は、「火」に関わりが深い。そこで次の昔のペルシアのコトバを見てみる。


  古ペルシア詞 「sōg」 (ソ−グ、SG)、「燃えること」
                           

こうして、ヤマトタケルの身の周りには甲斐の国に入る前から「火の運気」がずっとあって、酒折宮でそれが頂点に達した。タケルの目にあかあかと燃えるかがり火が映り、問い歌を詠むことを促した。そして、その問い歌には「火」のこと、「燃える」のことが句々のコトバとして出て来た。火焼の老人にはそれが分かったの。もう一度書いておくね。


 「新治(にひばり)」の「バリ」 (BR) > (後ほど説明) 

 「筑波(つくば)」の「ツク」 (TK)  > 「タク(焚、焼)」

 「過ぎて」の「スギ」 (SG)  > 古ペルシア詞「sōg」(ソ−グ)

 「(幾)夜(よ)か」の「ヨカ」 (YK) > 「ヤク(焼)」