28. ヤマトタケルの話の筋(8) 枯野という船(1)

       
今回は「かがなべて」の説明に入ることになっていたけど、その前に先回云った「枯野(からの)という船」のことなど、もう少し話しておかないといけないので、今日とそれにあと一、二回くらいしたあとで「かがなべて」のことに入ることにするね。

それに今度から適宜「Memo」の欄を設けることにした。「枯野(からの)」のことを話す前に、今日、その「Memo」の方を先に出して置く。下に書いてあるように、それが本論の方の理解に役立つと思う。


今日のMemoは前置きでもって長くなっているけど、この先はほんの短いものに・・


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Memo(1): 「アラビア語のこと」

次の回やさきざきの回のためにあらかじめ知っておいてもらった方がいいことや、それともそういうこととは関係なく、トルコ語、印欧語、セム語のいろいろなコトバがどのようにやまとことばに入っているか、手近なところから例を挙げていくために、この「Memo」のような欄があった方がいいと思った。


「Memo」の欄だけになる回の時もあると思う。本論の流れの中ではなかなか言い及ぶ機会がないコトバのことがたくさんある。又、読む人があらかじめ、このメモに書かれるあたりを自分で調べておいたり、頭に入れておいたりすると、その後の回で話されることが、いちいち細かな説明無しでもピンと来て、解を自分で見つけるというおもしろ味もあるのではないか、と、そういうこともあって、この「Memo」の欄を作ることにした。


今回ははじめてと云うこともあり、次回に話す「枯野(からの)」という名の船に関わることも話しておくね。



「セム語」の一つに「アラビア語」があるけど、このアラビア語は、紀元7世紀の初めに「ムハンマドマホメット)」が出てから百年も経たないうちににわかに広まった。このムハンマド以後に広まったアラビア語は、やまとことばの形成に関わるには時代的に間に合わないようなの。だからやまと語彙にあるセム語のコトバは、このムハンマド以降のアラビア語のコトバではないと思う。


けれども、矛盾するようだけど、やまと語彙にあるセム系のコトバの多くは「アラビア語」のものであるように見えるの。


なぜかと云うと、ムハンマドを9世紀以上さかのぼる頃から、今のヨルダンのあたりを拠点として、地中海の東海岸、すなわち「レヴァント」(Levant*)や、それにアラビア半島の紅海沿岸で、広く商業活動を行っていた、アラビア語を話す人々がいた。その人々は紀元元年の頃には地中海一帯、メソポタミア、南アラビアにまで商売を拡げた。


そのあたりをオリエント学、セム語学の専門家の人たちによく検証してもらいたいの。普通、古代中東の共通語と云えば「アラム語」(「シリア語」などもその一派)のことがまず考えられるのだけど、やまとことばではどうもその影が薄いように見受けられるの。

(*「レヴァント」はもともとラテン語で「陽の昇るところ」の義で、地中海の東海岸の地域、すなわちシリア、パレスティナのあたりを云う。)


「やまと語彙」に占める「その古い方のアラビア語」のコトバと考えられるものは割合とある。でも、その古いアラビア語については辞書が無いので、ここでは現代のアラビア語の辞書によって説明することにする。ヘブライ語とうかがわれるコトバも時々ある。その他のセム系の言語のコトバも混じっているはず。


菅原道真の「東風(こち)吹かば、・・」の歌にある「東風、コチ」はヘブライ詞である可能性が高い。この「こち、東風」は、ちょっと不思議に思われるだろうけど、「御徒町、おカチまち」の「カチ」と同根のコトバなの。共にセム語のことだま(=詞根)「QDM」から来ている。


この「QDM」の基本義は「前」と云うことで、「前」から「前方」、そこから、朝、陽(ひ)を前にした時の方向としての「東」や、それに「前進」、「歩行」、更には「果敢前進」の義が出てくる。


「東風、コチ」(今の書き方では「コティ」)や「徒歩、カチ」(同じく「カティ」)では、「QDM」の「M」を落として「QD」を採り、それがヤマト環境では「KT」となる。アラビア語では「QDM」には「東風」の義が無く、ヘブライ語にはそれがあるの。


昔の武家の「鎧櫃(よろひびつ)」には必ず「前」の字が書かれている。それは、中に納めてある甲冑の前後をまちがえないように、ということもあるだろうけど、実はそれは「前」の義のことだま「KDM」(=QDM)を意味していて、剣術の道場にある「鹿島(かじま)大明神」と書かれた掛け軸の、その「カジマ」とつながる。


辞書ではその「鹿島」は大体「カシマ」と出ているけど、その神社では「カジマ」と云っていて、おそらく昔は「カヂマ」(=カディマ、KDM)であったと考えられる。


武将が出陣する時に乗る馬の「手綱(たづな)」は、「かち色」とか或いは「かちん」とも云う、幾入(いくしお)も藍に染めて黒に近いその色のものが用いられたと云う。播磨(はりま)の国の「飾磨(しかま)のカチ」が名高い。


アラビア語に「カディン」(kadin, KDN)と云う動詞があって、「黒くある」という義。「KDN」は「KDM」(=QDM)に近い。「かち(=カティ)色」、「かちん(=カティン)」は単に「勝ち」に掛けているのではなくて、「QDM」の「果敢前進」と云う義を担っているようだ。




以下、古い方のアラビア語のコトバを引こうにも、それを示すことができる辞書がないので、現代アラビア語の辞書に拠ることにするね。その時、「このコトバは、現代アラビア語のxxというコトバと関係する」という断定的な言い方を避けて、


  「Cf.」 (コンファ−、=「比べよ、参照せよ」の義)


という表現を用いることにする。「Arab.」は現代アラビア語のコトバであることを示す。


例えば、やまとことばでは「兵士」のことを「あしがる、足軽」というけれども、これについては、


  「あしがる、足軽」:
    Cf. Arab. 「アスカル」('askar)、「兵士、歩兵」


という風に。又、「できもの、腫れ物」を「ねぶと、根太」と云うけど、これについては、


  「ねぶと、根太」:
    Cf. Arab. 「ナブタットゥ」 (nabtat)、 「腫れ物」


という風に。(これらの例のように、セム語のコトバでは、三子音の前後に接頭音、接尾音がつくことがあるけど、基本の骨組みは「三子音」。)



そして、「鎌を掛ける」の技について、そのエコ−として述べて来た「月」の義のコトバのことは、


  「かま、鎌」:
    Echo cf. Arab. 「カマル」(qamar)、「月」


という風に。ここで、その


  「Echo cf.」 (エコ−・コンファ−)は、

  「エコ−として比べてみよ」という意味。


    
この「古いアラビア語」がヤマトに関与するきっかけになったのが、もしアレクサンドロスのエジプト遠征の時からだったとすると、紀元前4世紀末以来の縁であるし、ロ−マ帝国の時からだったとすると、それから300年ほど時代を下ってからの縁と云うことになる。