骨休めと思って「お酒」のことを「Memo」として書き始めたけど、長くなったので、「ヤマトタケルの話の筋」の間に挟む一回分とするね。
「シロップ」(英 syrup, sirup)と「シャ−ベット」(英 sherbet)とは、語源(=詞源)が同じで、
アラビア語のことだま「SRB」(=基本義「飲む」)
のコトバ、「シャラ−ブ」(sharāb、=「飲み物」、「酒」)
から来ている。「シャ−ベット」(sherbet)は、そこに由来するトルコ語、ペルシア語の
「シェルベットゥ」(sherbet)
を経由している。
「お酒」はどの言語の人たちも好きだから、やまとことばには、それぞれの呼び方がある。「ミヅ」ともいうわけは、「メチル・アルコ−ル」の「メチ」に関係するギリシア詞「methu」(メツ、メス)に拠ることを話したけれども、又と「シル」と云う呼び方もあるの。「薄いお酒」を云い、「もそろ」とも云う。そこで、
「しる、酒」 :
cf. アラビア詞 「シャラーブ、シルブ、シュルブ」
(sharāb, shirb, shurb, SRB)、=「酒」
「お酒」を「シル」とも云ったということは、大伴旅人(おほともの・たびと)の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」の第一首が、
験(シルし)無き、ものを思はずは、一杯(ひとつき)の、
濁れる酒(さけ)を、飲むべくあるらし
と、「験(シルし)」の「シル」で始まっていることにも見える。(「験(シルし)無き、ものを思はずは」 : =「益もないことを思わずに」)
その第七首は、その歌に沿った風な場面を想像するとすれば、たとえば旅人が鼻の先を赤くし、徳利の首を持ちながら向かいの席からふらふらとやって来て、「いや、自分は行けない口で・・」と云う人の前でわざとどっかりあぐらをかいて、首を前に伸ばしてまじまじとその顔を見つつ、
あな醜(みにく)、賢(さか)しらをすと、
酒飲まぬ、人をよく見れば、猿(サル)にかも似る
と云う。
その「賢(サカ)しら」の「サカ」は「サケ、サカ*」(酒)に掛けているけれども(*サカづき(杯)、サカだる(酒樽)、等)、それだけではなくて、
「猿(サル)」(SaRu)と、
「賢しら」のその「シラ」(SiRa)とは、
その各々のことだま「SR」でもって掛け合い、
更に「シル、酒」(SiRu)に掛けている。
「賢(サカ)しら」と「サケ、サカ」(酒)の掛けは分りやすく、又、「験(シルし)」と「シル、酒」の掛けもどちらかと云えば分るほうに入る。
でも「猿(サル)」と「賢シラ」が「シル、酒」に掛けている、ということがわたしたちには分らなくなっている。
「・・よく見れば・・」
というところがミソで、「賢シラ」を「良く見れば」、「猿(サル)」に似ている、と云っているのであり、「シラ」と「サル」が似ている、つまり、両方ともその「ことだまSR」を同じくしている、と云っている。無論、「シル、酒」の「SR」を踏まえつつそう云っている。
ほんのちょっとしたことなのだけれども、それが長いこと見えなくなったままでいる。万葉集の他の歌で、多くの掛けがそう。平安期の中頃からはずっとそうと思う。
「理解力がある」こと、「理解した、分かった」ことを、おのおの「飲み込みがいい」、「飲み込めた」と云うけれど、
上のアラビア語の「SRB」(=基本義「飲む」)の
動詞の一つ「シャラバ」(sharaba)は「理解する、分かる」という義。
すると、
「知る、シル」 (この年になって初めて親の思いを
「知った」、など)
というコトバは、「酒」の義の「シル」と同根のコトバということにならないだろうか。
大伴旅人のこの十三首の中に、本当の「知る」ということとは違うけれども、一応は関係する「賢しき」、「賢しみ」、「賢しら」ということが併せて四つ出ている。旅人は「シル、酒」と「シル、知」とのつながりを意識して作ったのだろうか。
お酒の他の呼び方では、
「くもじ(九文字)」
というものもある。「三三九度の杯」を「九献」(くこん)とも呼び、その「九」を云う女の人のいわゆる「女房ことば」と云われているけど、
トルコ語で「クムズ」(kumuz,="kımız")は、
「お酒」(馬乳酒)のこと。
「クムズ」の「−ムズ」に「文字(モジ)」と当てたと見られるの。
このトルコのお酒の名は、英語では「koumiss(ク−ミス)」(=kumiss, kumys)と呼ばれ、現代の他の諸外語にも入っている。
それと、又、
ヘブライ語で「シェ−カ−ル」(shēkār, SKR)、
が「お酒」のこと。
(そこから、ギリシア詞「シケラ」(sikera))
ということもある。「サケ、酒」はヘブライ詞としていいのかも。
又、お酒を作ること(醸造)を「かむ、醸」というけど、
「かむ、醸」 :
cf. Arab. 「カムル」 (khamr, KMR)、
=「発酵させる」、「発酵する」
ということがある。
昔は、酒屋の軒下に「酒林(さかばやし)」と云って、杉の葉を束ねて大きな毬(まり)のように作ったものを下げ、これを看板のようにして、「杉(スギ)を標(シルし)」とした。ここで「杉」はその「酒林」のこと。
酒屋は杉を標(シルし)の門は変らず (西鶴、永代蔵)
奈良県の「三輪(みわ)神社」は、「お酒の神さま」の社(やしろ)で、そこに「神杉(カミ・スギ)」、又は、「しるし(シルし)の杉(スギ)」というものがある。おのおの、「カミ」(KM)、「シル」、又、「スギ」(SG,=SK)、に留意。
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ヤマトタケルの話のあとで「ホムチワケの御子(みこ)」(本牟智和気御子)の話をする。この御子は、大きくなっても口をきけなかったけど、出雲の大神の力で口が聞けるようになった。
出雲詣(もう)での帰り道でのいろいろな事象に、その「子音のワンセット」つまり「ことだま」を通して、「言葉」「音声」に関わる、各言語のもろもろのコトバが「エコ−」として現れ、それは出雲の大神のみこころ、ということなのだけど、それらがホムチワケの御子の自力を促して初めて言葉を話させる。
このあたりの「ことだま」というものの持つ雰囲気のことがある。このホムチワケの御子の話はヤマトタケルの話の伏線にもなっていて、「火」のこと、それにことだま「NG」のことは、それぞれ「ホムチワケの御子」が燃える「稲城(いなぎ)」の「火中(ほなか)」に生まれたといういきさつや、そしてその話の終わりのところにある「長穂宮(ながほのみや)」の「ナガ」からつながっている。
「ことだま」を通した技にかかわることでもって暮らしの中に取り入れられ、習わし、伝統として心の拠り所ともなっているものが多い。「技」とは云っても「技という呼び方では納まらないあたり」のことがある。
のし紙の「水(ミヅ)引き」は、綿糸か「こより(紙縒)」の縒(よ)りが戻らないように「糊水(のりみづ)を引いた」ものを髪の元結いに使っていた、それを紅白にして物を結ぶようになってから「水引き」の名を専(もは)らにした、とある(「大言海」)。それは昔の人が「瑞(ミヅ)引き」とこころの中で呼びたい気持ちのことと思う。
平安期以後のことだろうから、それは「ミヅ」の掛け、ということになるけれども、でもそれを奈良期までの人たちに云わせればことだま「MD」(MiDu,ミヅ)の掛け、ということになる。(「MD」という風には思わなくても、その辺をからだで分かっていた、ということになる。)いずれにせよ、それをただ「技」と云ったのではしらじらしい。その「ミヅ」のことだま「MD」とその技の奥に「気持ち」と云うものがある。
「酒、さけ」(SK)と「杉、すぎ」(SG)とのつながりもそうだけど、「いわれ」や「習わし」は昔の人の切なる気持ち、願い、そして歌心、工夫の賜物である大事なものであり、暮らしの中のしきたり、行事の意義、楽しみ、はりあいもそこにある。
何かどこか分らないものを、はっきりはしないけど「ことだま」というものに託したいという気持ちにはもっともなものがあり、この辺の分らなさ、もっともさ、というものは大事にしたい。それに、それは「ことだま」の何たるかを知って、その上でそうであって差し支えがある訳ではなく、却って人の昔からの変らぬ思い、願いがより身近になり、呼び覚まされるところがある。
「ことだま」についてはその素顔をはっきりと知ってもらうために「子音のワンセット」ということを強調してきているけど、人の気持ち、気分として、「コトバ」でも「言葉」でも、いわゆる「ゲン(験)をかつぐ」と云ったことに関係してくるのは自然だ。たった仮名一音でも、その音が忌まわしいとなったら、決して使いたくない、ということもある。
「ことだま」が何であるかをよく分っていた奈良期までの人たちにとって、お話や物語の筋を導き、なぞなぞにもなり、又、いわれの元となったりする「ことだま」だけど、それに関わるあたりで「ゲン(験)をかつぐ」ということのテンションが次第に上がって、「ことだま」の霊的な雰囲気が濃いものへと移って行くことには自然なものがある。
「神だのみ」の気持ちや「霊験」というものは人の気持ちと自然界との奥深いところのことであって、それをみだりにとやかく云うことは余計なことであり、ここで言う必要もないことだけど、でも、「ことだま」ということについて、その素顔をよく知れば、奈良期頃までの人たちが思った風に思い感じることに近付くことができる。
とにかく「ことだま」については、分らなくなり始めてからもう千年以上たっているのだから、一度リセットする必要がある。