17. 一富士二鷹三茄子


一富士二鷹三茄子(なすび)」については前回ちょっと話したけど、その説明のためにもう一度「柿本人麻呂」の「安騎(あき)の野」の歌を見てみて、「一富士・・」についてはそこから入ることにするね。


この歌は長歌に続く「短歌四首」で一まとまりになっていて、「軽皇子(かるの・みこ)」(後の「文武(もんむ)天皇」)が、亡くなったお父さまである「草壁皇子(くさかべの・みこ)」が生前に狩りを楽しんだ「阿騎の野」(奈良県宇陀(うだ)郡)へ来て、お父さまを偲ぶ狩りを行う、その様子を、第一首から第四首にわたって、到着したその日の宵から次の日の早朝に狩りが始まるまでの時の移りに従って叙している。阿騎の野での狩りには政事の儀式的な意味があるようだけれど、そのことは国文学や歴史学で詳しくしている。



今日はその第一首から第三首までを挙げて、互いのつながりを見てみる。



  (1)阿騎の野に、宿る旅人、打ち靡(なび)き、
      寐(い)も寝(ぬ)らめやも、いにしへ思ふに


  (2)ま草刈る、荒れ野にはあれど、黄葉(もみちば)の、
      過ぎにし君が、形見(かたみ)とそ来(こ)し


  (3)東(ひむかし)の、野にかぎろひの、立つ見えて、
      かへり見すれば、月かたぶきぬ



第三首では、東の方の空が明るみ、そして西の方に月が傾いているけど、人麻呂はそういう月が第三首で唐突に出て来るというようなことはしない、っておじさん云ってた。この四連の歌では、宵から早朝に至るまでの時の移りを詠んでいるのだから、暁(あかつき)に西に傾く月があるのならば、人麻呂は必ず宵から夜更けにかけて天高く照る月を置いている筈だ、って。置いてあるのなら、それはもちろん第一、第二首にある。


第一首では、お父さまが狩りを楽しんだ昔がしのばれて、なかなか寝付かれないでいることが歌われているけど、「寐(い)も寝(ぬ)らめやも」というのは「どうして眠られようか」ということで、原文に使われている「寐(ビ、ミ)」という字も、「いぬ(寐ぬ)」というコトバも、ぐっすりと眠る、ということ。

「寝て寐(い)ねず」と云い、昔の医書に「不眠症」のことを「不寐(ふび)」と云う。


「うちなびき」というのは、前にとりあえず簡単に「横になって寝ること」と書いたけど、もともと藻などが波や流れの中でゆらゆらとすることで、左千夫は「『打靡(うちなびき)』の句などは云ひ過ぎて居る。寝る形容語と見るにしても、此の場合無用な形容の感がある」と書いているけれども、この句には「ウチ、三」のことや、他に「矢」や「夜更かし」のこと等、いくつかのエコ−があるので、左千夫がそういう風に感じるような違和感が伴う。そのあたり、人麻呂はやや無理を承知で大胆にやっている。


人麻呂にはそもそもそういう風な、いわば無理なあたりを敢えて無理とせずに、コトバに裏打ちの層を重ねる作りに挑む気合いがある。


ここでは省くけれど、第一首の句々のコトバのほとんどに狩りの「弓」、「矢」、「撃つ」、などの掛けや、それに関わるエコ−があるの。更けつつある夜、軽皇子の瞼には、矢をつがえ、弓を引いて狙う姿、矢が飛ぶさまなど、狩りをするお父さまに思いを馳せるに今にも彷彿(ほうふつ)として来るようで、なかなか深い眠りにつけない。


第一首は夢に出てくる狩りの状景を織り込みつつ、眠られず、いわゆる「輾転反側(てんてん・はんそく)」、寝返りをしている状(さま)を詠んでいる。                          

国語辞書を引くと、


  「かべ」というコトバで「夢の異称」、という風な説明があるものがある。


昔は「寝(ネ)る」というコトバの発音が、この第一首で「寝(ヌ)らめやも」とあるように、「ヌル」であったので、それを「壁を塗(ヌ)る」に掛けて、寝る時に見る「夢」のことを洒落て「カベ」と呼んだ、と昔からの説明もあるけれど、実は、


  ペルシャ語で「夢」のことを「クワ−ブ」(khwāb)


と云う。


人麻呂が第一首で「寐(い)も寝(ぬ)らめやも、いにしへ思ふに」と、うとうととすると昔の狩りのことが夢に想像されて眠られないでいる、という風に「夢」のことを叙しているのは、軽皇子のお父さまの「草壁皇子」(くさかべの・みこ)のその「カベ」(壁)を念頭に置いてのこと。


「壁を塗る」という昔からの説明も、多分、人麻呂の「草壁」の「壁」のこの掛けが別な風に言い伝えられたものかと思う、でも、六雁(むつかり)が「かがなべて」の「ナベ」に「鍋」を思ったのだから、「壁を塗る」と「寝(ヌ)る」のことは人麻呂も、それもそうだな、と思っていたかも。


                    
この四首に先立つ「長歌」に、「草枕、旅宿りせす、いにしへ思ひて」とはあるけど、「草枕」とは云っても、テントとか仮小屋がなければ、同じく長歌にあるように「み雪降る安騎の大野」で、秋深いか初冬のそんな寒い頃、凍えてしまう。歴史学の方でも、たとえば軍営でどういう風に宿泊するのか、そういうことを説明してくれるものが無い、って。


軽皇子(かるのみこ)のような大事な人は露天で寝る筈はないし、他の人たちでも露天で寝ることはどうかと思われるけど、とにかくテントの中か仮設のご寝所でなかなか寝付かれないでいるその時、戸外に月は天高く煌々と照っている。


前にも書いたように、第二首「ま草刈る」ということから「鎌、カマ」を想い、その「カマ」でもって「カマル」、すなわち「月」が呼ばれている。

その月が「輝いている」ことを、既に幾度も触れたけど、第一首の「旅人」の「タビ」が呼ぶエコ−、「輝く」の義のペルシア詞「タ−ブ」(tāb)が叙している。第三首にある東の空の明るみと西に傾く月との位置関係から考えると、満月前後と思われ、この場合、月は鎌の形とは関係なく、ただその「カマ」の音でもって結ばれていると考えていい。


この「カマル、月」は、「タ−ブ」と違ってペルシア語のコトバではなくて、では、どの言語のコトバかと云うこと、あとで話すと前に云ったけど、もう少し待っててね。ただセム語族の言語のコトバ、ということだけ云っておく。

       

 
そこでそのペルシア詞「タ−ブ」だけど、これは実は日本書紀に出てくる「神武天皇」の有名な金色の光り輝く「鳶(とび)」(原文「鵄」)の話で、その「トビ」(鳶)のエコ−になっているコトバなの。


神武天皇が「長髄彦」(ながすねひこ)との戦いで、戦局が膠着して苦戦していた時、持っている「弓」の「弭」(はず)、つまり弓で弦(つる)を掛ける端のところ、そこに金色をした「鳶」が飛び来たって止り、「光り照り輝いて」、そのさまは「稲光」(いなびかり)のようだった。

それで敵の兵士たちは目がくらみ、皆混乱して力萎え、それで神武は長髄彦を討つことができた、とある。日本書紀ではここを、

   
  皇師(みいくさ)遂に長髄彦を撃つ。

  (中略)
   
  黄金(くがね)の霊(あや)しき鵄(トビ)ありて、
  飛び来たりて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止まれり


と記している。「鳶(トビ)ありて、飛び(トビ)来たりて」という風に「トビ」の音を繰り返しているけど、こういう時はその「トビ」の音に注意を促していて、エコ−があることを示唆している。

つまりここでエコ−「タ−ブ」が呼ばれていて、それで「鳶」が「輝き」始める。


こういう場合「タ−ブ」(tāb)の音を成す「一対の子音」である「TB」が大事で、その「タ−ブ」がエコ−として働いている時、その当のコトバは、「トビ(鳶)」(ToBi)であったり、「タビ(旅)」(TaBi)であったりする。


「鳶」が「弓」の「弭(はず)」に止まって光り輝いたら、戦況が好転して、神武は長髄彦を「撃つ(ウツ)」ことができた、ということだけど、このことを日本書紀は、


   「鳶の瑞(みづ)」


と記している。「瑞(みづ)」は「吉」ということと同じで、「瑞祥(ずいしょう)」といえば「吉兆」と同じく、「めでたいしるし」のこと。この「鳶の瑞(みづ)」では、その「ミヅ」は「三つ」(ミツ)に掛けていて、これは「あさかやま」の歌で娘子(をとめ)が右手に「水」(ミヅ)を持って、その肘(ヒヂ)で葛城王(かづらきのおほきみ)の膝を「撃つ(ウツ)」のと同じこと。(第7回目<「ウチ」=数「3」のこと>参照。)


それで神武天皇長髄彦を「撃つ」(ウツ、=ウチ)ことができた、と云う話。「あさかやま」の娘子が水を持って葛城王の膝を撃つのは、神武天皇のこの話を承けてのこと。


そして、鵄が止まった「弓」の「弭(ハズ、HaZu:HZ)」のエコ−になっているのが、


   「ハズ」(hazz)


というセム語の或る言語のコトバで、「幸運」とか「吉」とかいう意味。それで戦況が好転した、ということ。「あさかやま」の娘子が肘(ヒヂ、HiDi:HD)で葛城王の「膝(ヒザ、HiZa:HZ)」を撃ったのも、又、神武天皇の弓の「弭(ハズ)」のことを承けてのこと。エコーとなっている上の「hazz(ハズ)」は「カマル(qamar)、月」と同じ言語のコトバ。


「光」の字を「水戸光圀(みつくに)」という風に「ミツ」と読むのは、神武天皇のこの話で、「黄金(こがね)の『光り』輝く鳶」が「瑞(ミヅ)」であることから来ている。




その「幸運」の義の名詞「ハズ(hazz)」は、「富」という義もあるけど、動詞「ハズ」(hazz)から来ていて、この動詞の意味は「望むところを得る」「幸運を得る」「おのれの分を得る」ということ。名詞「ハズ」の複数形が  

   「フズ」(huzz)


で、これが「一富士」の「フジ」のエコ−になっているの。それで「富士」の夢は「吉兆」、「瑞祥(ずいしょう)」、つまり「めでたいしるし」になる。


でも、その「富士」のエコ−は、「フズ」だと云っても「ハズ」だと云っても良くて、「トビ」(鳶)と「タビ」(旅(人))の場合と同じく、「ハ」と「フ」のそういう母音の違いはあまり問題でなくて、どちらでもいい。
                    

ちなみに、この回の説明の始めの方で「天高く照る月を置いている筈(はず)だ」という風に使っている「筈」(はず)は当て字で、これは「矢」の端で弓の弦(つる)に掛けるところを云う。「弓弭(ゆはず)」に対して、「矢筈(やはず)」という風にも云う。



セム語の言語のコトバで、「幸運」「吉」という義のコトバがもう一つあって、


  「ナシャブ」(nashab)


と云う。これが「三なすび(茄子)」の「ナスビ」のエコ−になっている。この「ナシャブ」は、「(与えられた、得た)分」(英語では"lot", "share")とか「運」の義である「ナシ−ブ」(nashīb)から来ている。ちなみに英語"lot"には「分け前」のほか、「くじ」「くじ引き」、「運」という意味もある。


この場合、「NSB」という三連の子音が大事。「S」は「ス」とか「サ」、それに「シュ」とか「シャ」の音の子音も代表して表わすことにする。



ホンダの車種で車体の後ろに「STEP WGN」と書かれているのがあるけれど、誰でもそれを「ステップ・ワゴン」と読める。この「WGN」は、読みようによっては、「我が名」(WaGaNa)とも読めるし、「荻野、をぎの」(WoGiNo)とも読める。ホンダの車で「STEP」とあるから、自然に「WaGoN」(ワゴン)と読める。


「ナシャブ」(NaShaB)と「ナスビ(茄子)」(NaSuBi)のこともそういう感じのもので、その「NSB」が大事。



昔のやまとことばのハ行を今簡単に「H」で表わすとして、「弭(ハズ)」(hazu)や「富士(フジ)」(huzi) 、そして「ハズ、フズ」(hazz, huzz、=「幸運」)の場合も、「HZ」ということが大事。「富士」の場合は、「HJ」(huji(fuji))の方が親しめるかもしれないけれども、「J=Z」で大丈夫。


長くなり始めたから、「二鷹」のことは次回にする。次回はそれと「阿騎の野」の短歌四首の第一首から第三首までについてもう少し話すね。