8.「ウチ」のことと「鎌を掛ける」のこと


山部赤人(やまべの・あかひと)の有名な富士の歌、


     田兒(たご)の浦ゆ、うち出(い)でて見れば、真白にそ、
    不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に、雪は降りける


この歌では、「うち出でて」の「ウチ」と、「見れば」の「ミ」とが掛りになっているけど、でもそれが掛りだと分かっても、それにしてもまだ、「うち出でて」というのは一体どういうことなのだろう、という気持ちは残る。


おじさんの話しでは、伝統的な「ウチ」と「ミ」の掛けの詠み込みは、柿本人麿が「或る四首」の中で徹底的にやっていて、「ウチ」と「ミ」はちょっと持て余しものになっていたと云うか、そういうところがあっただろうな、って。


赤人くらいの人になると、是非ひとつ、とまわりから云われることもあるだろうし、かといって赤人くらいの人になればただ詠み込めばいいというものでもないし、ここは赤人自身、何かしら新風を吹き込みたい、吹き込まなければ、という気持ちがあっただろうな、って。


柿本人麿のその「四首」というのは、軽皇子(かるのみこ)という人が、亡くなったお父さまにゆかりある「阿騎(あき)の野」というところへ狩りをしに来た時の歌なんだけど、


    阿騎(あき)の野に、宿る旅人、うち靡(なび)き、・・ 


という歌で始まる短歌四首がある。「うちなびき」というのは、宵になって軽皇子がたぶん幕舎(=テント)の中と思うけれど、「体を横たえてうとうとと眠りにつく」ということだと云われている。その「ウチ」の掛かりの「ミ」はこのこの第一首自身の中にはなくて、続く第二首から第四首の中にちりばめてある。全部で「九つ」ある。


最後の第四首の様子を見てみると、朝が明けて、お父さまである「日並皇子」(ひなみしの・みこ)がかつて狩りに出て行かれた、その時刻が来た、と詠まれているけど、ここでは「ミ」の数が一番多くて「四つ」ある。声に出して詠んで見ると、「ミが多いな」という感じで、すぐ分かる。


    日並皇子(ひなしの・こ)の命(こと)の、

    馬並(な)めて、御狩(かり)立たしし、時は来向(きむ)かふ


ここにも「馬並めて」があるけど、先回挙げた大伴家持の歌は、その「馬並めて」と「ミ」との詠み込みで、この歌を意識してしている感じがあると思わない?


ついでだけれど、「鎌を掛ける」という言い方がある。聞きたい当のことそのものについては何も云わず触れずに、そうして相手の本音を引き出す、ということ。それは、人麿のこの四首にある技法のことを云っていて、そこからその云い方がある。


どういうことかというと、第二首は

       真草(まくさ)刈る、荒れ野にはあれど、・・


という風に始まるけど、その「真草刈る」というのはつまり「鎌」のことをそれとなく云っている。「ま草」は屋根を葺く茅のことだけれど、無論「鎌」はそれを刈る道具。


その「鎌」はその形からして「月」、この場合「三日月」だけど、それと「弓」のことも思わせるでしょ。その月は第一首のところでは表にこそ詠まれてはいないものの、人麿は気持ちでそこに月を置いている。それで宵には既に月が天にあって、しかも、後で云うけど、皓々(こうこう)と輝いている。それだから、一夜の時を経た第三首目では、


      東(ひむかし)の野に、かぎろひの立つ見えて、
      返り見すれば、月傾(かたぶ)きぬ


ということになる。「月は東に、日は西に」じゃないけど、こういう「月は西に、日は東」のときには、よく分からないけど天文学的には月は満月に近いのじゃないか、っておじさん云ってて、それと歌の技法の「鎌」=「三日月」とは適当に別々に考えた方がいい、って。


それと、「立つ見えて」、「返り見すれば」となっていて、「見」(ミ)が二つちゃんとある。


おもしろいことに、「三日月」にも「弓」にも形が似ている「かま」(鎌)という道具のその「カマ」という呼び名自身が、「月」という意味の「或るコトバ」と、それに「弓」という意味の「或るコトバ」の二つがたまたま、これは本当に偶然なんだけれど、頭から仮名二音分、つまり「カマ」という音が同じなので、そういう風に云うようになった。


つまり、「カマ(鎌)」というこの草刈りの道具の名は、洒落(しゃれ)でできた呼び名なんだ。こういう風なのが「大和ことば」ならではの粋(いき)なコトバの作り方。


その或るコトバというのは「カマル」(月)と「カマ−ン」(弓)というコトバなんだけれど、そのことは又あとで云う。


本当にたまたま形の上でも音の上でも似ていて、それで「やまと歌」の中では技として、


     「鎌」 = 「月(三日月)」 = 「弓」


という風になっている。上のような「かま」(鎌)の事情でもって、歌の中に「鎌」がじかに出ていたり、或いは「真草刈る」のようになっていたりする時には、「カマ」(鎌)はそのエコーとして「カマル」(月)や「カマーン」(弓)を歌に呼び込むことができる。それで最後の第四首は今度はその「弓」のことから「狩り」の光景になる。


実は第一首にも、狩りに関わる弓とか矢のいろいろいろなエコ−が織り込んであって、軽皇子がうとうととしながらもかつての狩りの光景が想われて、なかなか寝付かれない様子が詠まれている。このこともいつか又。


それで、つまり、「鎌」、「弓」のいずれも、そのことを云わずして歌に出している。「月」は第三首で初めて姿を出しているように見えて、実は上の説明のように、云わずして第一、第二首に出してある。これが「鎌を掛ける」ということ。


それともう一つ、第一首で月が皓々と輝いている、というのは、「旅人」の「タビ」でもってそうと分かる。「タ−ブ」という或るコトバがあって、それは「輝く」という意味で、「旅人」の「タビ」のエコーになっている。これもあとで言う。


斉藤茂吉の師である伊藤左千夫という人は、この「旅人」のところをとても敏感に感じ取っていて、


  「宿る旅人」も余りよそよそしい言い方でおもしろくない、


と書いている。左千夫はこの歌について、更にこうも書いている。


  感情の現れと云ふよりは、他の感情を余所(よそ)から説明したに過ぎない感がある。


おじさんは、普通めったに思い付かないような、「他の感情を余所(よそ)から説明」、といった、そういう云い方ができるとは、歌人とはこうも敏感なものか、と驚いていた。


人麿が敢えて「旅人」という風に詠んでいるのは、技法的に実際に左千夫が言うとおりの、「他の感情を余所から説明」するという、そういうことをやっているわけで、「(月が)輝いている」ということを云わんがためなの。