9.「鎌足」(かまたり)という名


藤原鎌足」(ふじわらの・かまたり)という人がいるけど、「鎌」に「足」って、変わった名だ。


万葉集に、


    望月(もちづき)の、満(た)れる面(おも)わに
    花の如(ごと)、笑(ゑ)みて立てれば・・


という長歌がある。「月が満ちたようにふっくらと輝くような面立ちで、花のようにほほ笑(え)んで立っているので・・」という・・ その「満(た)る」は、「足る」に通う。


その歌のことからすれば、「鎌足」のその「たり」(足)は、月の「足(た)る」様子、満ちた様子、「かま」(鎌)は、エコ−が「カマル」で「月」、という風に見ることができる。


「カマ・タリ」は「月満ち」か「月満」(つきみつ)、つまり「満月」ということだ、っておじさんは云ってた。



「カマル」がどういう方面のコトバか、分かる人もいるだろうけど、もう少し我慢しててね。説明がぐるーっと回り道しなければならない。



なぜ「鎌足」がそういう風に「満月」のことだと云えるかと云うと、「藤原道長」の次の歌があるからなんだ。藤原氏平安時代、「道長」(みちなが)の時に全盛を極めるけれど、或るめでたい日の夜の宴(うたげ)に、

   
   この世をば、わが世とぞ思ふ、望月(もちづき)の、
   欠けたることの、無しと思へば


という歌を詠んでいる。有名な歌だけど、道長は自分では日記にしるしていない。満ちた月はすぐ欠け始めるからだろうか。
   

藤原氏は初め「中臣」(なかとみ)の姓で「鎌子」(かまこ)という人から始まって、その後、「鎌足」が出る。鎌足も初め鎌子の名の時があったけど。「大化の改新」に功があって、それで臨終に際して亡くなる直前に「藤原」の姓を賜った。


それで、「道長」は、うれしくめでたいその日の夜、一族の祖先の名にある「月」のことに思いを馳せ、自分の名「道長」の「道」の「ミチ」に「満(み)ち」を聞いて、そこから「鎌足」の「月満ち」、「満月」を想う。そして先祖以来、その


    望月(もちづき)の、欠けたることの、無しと思へば


と詠んだ、ということであると・・。 それで「鎌足」の名の意味が推し量れる。


それに、


      この世をば、わが世とぞ思ふ


の「世」(よ)は「夜」の「よ」に掛けている。なぜかと云うと、「道長」の「長」の「ナガ」には、そのうち詳しく触れるけど、エコ−として「夜」の義のコトバがある。で、そこからも「月」を出している。


やまと歌や古事記の話しの中では、例えば「長野」、といった風に「ナガ」の音が出たら、「夜」を想うことができるので、覚えておいてね。


  秋の夜長(よなが)


と云うけど、この云い方には、その「なが」(長)を「夜」に掛けた洒落があるの。


それから、


    わが世とぞ思(おも)ふ、・・・無しと思(おも)へば


と、「オモ」が二度出ているけど、やまと歌で同じ音が繰り返し出ることは、それなりの意味がある。道長の心には、「望月(もちづき)の、満(た)れる面(おも)わに」のその歌のことがあって、「思ふ」「思へば」の二つの「オモ」は、その「オモわ」(面わ)に通わせている。


「満(た)れる面わ」の「たれる」は、今、本では普通「足れる」と書いているけど、万葉集の原文では「満」の字が使われていて、道長はその字の「満(み)つ」の訓(よ)みにも自分の名の「みち」(道)を聞いただろうな、って。



その歌は、東(あづま)の国の有名な「真間(まま)の手兒名(てごな)」という、かわゆくも美しい娘子(おとめ)のことを歌ったもの。手兒名は「おとめ」のことだけど、道長のそのめでたい日というのは、三女の「威子」(たけこ)が長女、次女に次いで天皇の后(きさき)となった日で、我が娘の晴れの姿のその顔に、歌にある真間のおとめの面立ちが重なって見えたかも・・