22. ヤマトタケルの話の筋 (2) 出雲建


ヤマトタケルは西の方への遠征で輝かしい成果を挙げたけど、天皇のもとに還ってきて、休む間もなく東の方への遠征を命ぜられた時、ようやく天皇の真意を悟り始めるの。


今回のは、西の方の遠征から意気揚々として帰ってくる、まだ心の痛みを知らないヤマトタケルの話。


東の方への遠征で、「走水(はしりみづ)」の海の中に「弟橘媛(おとたちなばひめ)」が入って、


  「七日、なヌカ」


の後に「御櫛(みくし)」が海辺に着いた、というその「七日、なヌカ」の「ヌカ」と同じ音が、話をさかのぼって、ヤマトタケルが初めに「熊曾建(くまそたける)」兄弟を討ちに西の方への遠征に出かけるくだりにある。


ヤマトタケルが、                  


  その御髪(みぐし)を額(ヌカ)に結(ゆ)ひたまひき


とある、


  「額、ヌカ」 (NK)


がそれ。(「御櫛」は「みくし」、「御髪」は「みぐし」と濁音になる。)


「額(ヌカ)に結ふ」というのは、額(ひたい)の上のほうで、髪の毛をちょっぴんにしてまとめる髪形で、十五、六歳の男の子がそうする。この髪形は見た目が「ひさご」(=ひょうたん)の花に似る、というわけで「ひさご花」と呼ばれる。


ヤマトタケルがその熊曾建兄弟を討つくだりのことは省いて、熊曾建兄弟を討った後、「出雲建(いづもたける)」を討つ時のことについて話すね。ここでも又、


  「七日、なヌカ」の「ヌカ」


の音が出てくる。話自体はやはりさかのぼるけれど。それと、


  「五日、いツカ」の「ツカ」


の音が、「ウラ」のコトバとしてあるところがある。こちらは話の順序どおり。
     


ヤマトタケルは出雲の国に入って、出雲建を討とうと思い、それでまず、ちかづきになって、友達のよしみを結ぶ。そしてひそかにイチイの木でもって偽(にせ)の刀(=「詐刀(こだち)」)を作り、それを身に着(つ)けて、それから出雲建と共に川へ行って水浴(あ)び(=川浴み(かはあみ))をした。


ヤマトタケルは、先に川から上がって、衣を着たあとで、出雲建が脱いだ衣とともに置いてあるその刀(たち)を身に着けて、まだ川の中に居る出雲建に向かって、「刀(たち)を交換しよう」と言った。その後で出雲建が川から上がってきて、ヤマトタケルのその偽(にせ)の刀を身に着けた。


その時、ヤマトタケルは「じゃあ、試合をしてみよう」とさそって云った。そこで、おのおのその刀を抜くことになったけれども、しかし出雲建はその詐刀(こだち)を抜こうとしても抜くことができない。そしてヤマトタケルは自分の手の方にあるその刀を抜いて出雲建を斬り殺してしまう。


と、こういう話だけど、おのおのが刀を抜こうとするところを古事記は次の様にしるしているの。「え抜かざりき」は、「抜くことができなかった」ということ。


  おのおのその刀(たち)を抜(ヌ)キし時、出雲建、
  詐刀(こだち)をえ抜(ヌ)カざりき。
  すなわちヤマトタケル、その刀を抜(ヌ)キて、
  出雲建を打ち殺したまひき。


ここでは、


  「抜(ヌ)キし時」、
  「え抜(ヌ)カざりき」、
  「抜(ヌ)キて」


という風に、景行(けいこう)天皇の「ネギ」から、母音をいろいろに変えながらずうっと続いている「NK,NG」が、「抜く」の活用形として、「ヌキ」、「ヌカ」、「ヌキ」と三度繰り返して出ている。初めと、三つめの「ヌキ」は同じ連用形。


「打ち殺したまひき」とあるけど、普通は「斬り殺し」となるのだろうけど、ここはおそらく「NK」が続いて三つ、ということで、それで「ウチ(=「三」)」を使っているようなの。


  「抜かず、ヌカず」 (NK)
  「抜きし、ヌキし」「抜きて、ヌキて」 (NK)

  
上の「ヌカ」「ヌキ」は、はっきりと古事記にしるされているコトバだけど、「ウラ」にはどういうコトバがあるのだろう。



「ウラにある」ということは、先々回云ったように、読む人が、「この『くだり』では、前後に連なる『一対の子音』の脈から推してみて、ウラにこういうコトバがきっとあるはずだ、古事記はそのコトバを想ってね、と語りかけている」と読者が自身で思わなければ、そのコトバは永代無いも同じ、と、そういう風にして在る、ということ。

 
このくだりでは三つの「ウラのNKのコトバ」が考えられるけど、その一つはあとで云うことにして、今まず二つについて云うと、それらは、


  「抜く、ヌク」


というコトバと同音の古形を持つ、


  「脱ぐ、ヌグ」 (古形「ヌク」) (NG,NK)  


と、そして古形の場合の母音はやや離れるけれども、


  「拭ふ、ヌグふ」 (古形「ノゴふ」) (NG)


の二つ。「脱ぐ」は古い形では「脱く」と清音で、「抜く」と同じ音。「拭(ヌグ)ふ」のほうは、古い形では「拭(ノゴ)ふ」。


ここでは今の形でもって話をしても一対の子音には変わりがなく、今の形の方が実感を得られるので、そうすることにする。



「川浴(かはあ)み」のところを古事記の記述で見てみる。「御佩(みはかし)」は「刀、大刀」(たち)のこと。「いちひ」は木の種類の名前。


  ひそかに、いちひ以ちて、詐刀(こだち)に
  作り、御佩(みはかし)と為(な)して、共に肥河(ひのかは)に
  沐(かはあみ)したまひき。

  ここに倭建命(やまとたけるのみこと)、河より先に上りまして・・


とあるけど、この川浴みでは当然二人とも御佩(みはかし)を解き、衣を解いて脱がなければならないから、そのシ−ンを「脱ぐ」というコトバと一緒に想ってね、と古事記は無言の裡(うち)に云っている。


  ・・御佩(みはかし)と為して、共に肥河(ひのかは)に
   沐(かはあ)みしたまひき。


という風にあるけど、今にも刀を身に着けたまま川に入りそうなくらいに、一息に短く書かれている。

でも、読む人は、ここでもし「脱ぐ」というコトバを想いつつ、友達となった二人が笑いながら刀を解き、衣を解く様子を思い浮かべて読むとことの運びがよりはっきりする。


その短か目、足りな目の記述でもって、古事記は、「そういうところを省くけれど、『脱ぐ』というコトバに気付き、想って、そのシ−ンを想像して読んでみてね」と云っているの。



もうひとつの「拭(ぬぐ)ふ」というコトバを念頭に置きながら、そのあとのシ−ンを考えてみる。「佩(は)く」は刀を身に着けること。


  ここに倭建命、河より先に上(あが)りまして、
  出雲建が解き置ける横刀(たち)を取り佩(は)きて、
  「刀(たち)を易(か)へむ」と詔(の)りたまひき


先に川から上ったヤマトタケルは、手ぬぐいで体を拭(ぬぐ)う。そして衣を着、出雲建の刀(たち)を身に着ける。そして出雲建に、「ここは友達のよしみで、交換してみるというのはどんなものだろう」と呼び掛ける。


それで、それから、


  後(のち)に出雲建、川より上(あが)りて、
  倭建命の詐刀(こだち)を取り佩(は)きき


あとから川から上ってきた出雲建は、濡れた体を拭(ぬぐ)いながら、既に出雲建の刀を身に着けているヤマトタケルの前でヤマトタケルの刀を手に取って見る。


古事記は、出雲建を討ったあとにヤマトタケルが詠んだ歌をしるしているのだけど、その歌によれば、ヤマトタケルの「詐刀(こだち)」の作りは、何か鞘(さや)が「ツヅラ巻き」か「ツヅラ織り」になっているのか、そして、その「ツヅラ」、普通ここは「黒葛」という字を当てて「ツヅラ」と読んでいるけれども、蔓(つる)の一種、その巻きか織りの素材がそのまま「緒(を)」になっている、そんな野趣のある風になっている様子。「緒」は腰に巻いて刀を着ける紐。


ヤマトタケルは衣を脱ぐ時に、その「ツヅラ」の緒を柄(つか)にあたるところに巻きからめて、解(ほど)けにくいようにしておいたように思われる。これは、自分が刀を抜きにくいようにすることになり、誠意のしるしとして相手を安心させることができる。


その歌。「やつめさす」は「出雲」の枕ことば。掛かり未詳。「さ身」は刀身(とうしん)。「纏(ま)く」は「まつわりからむ」こと。「あはれ」は「かわいそう」。          

  やつめさす、出雲建が佩ける刀(たち)、
  黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き、
  さ身無しにあはれ


「黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き」というのは、「ツヅラをぐるぐると幾重にもからませて」ということ。そのからませてあるところ、古事記は云っていないけど、そこが刀(たち)の、多分、


  「柄、ツカ」 (TK)


の部分。「柄、ツカ」は云うまでもなく、刀身を手で握るところ。これが「五日、いツカ」の「ツカ」から連なっているの。「五日、いツカ」の「ツカ」はヤマトタケルの命運を決めたけれども、ここでは刀(たち)の「柄、ツカ」が出雲建の「命運」を決する「ツカ」(TK)になったということ。


この「ツカ」まで来ると、「二鷹」の「タカ」は、「カ」音を共にする「ツカ」(=トゥカ)の音がステップとなってギリシア詞「トゥケ−(tuchē)、運」と結ばれやすくなる。もっとも、このヤマトタケルの話では、それが幸運の方ではなくて悲運のほうだけど。


で、出雲建が衣を着て、からんだツヅラの緒を解き、その詐刀(こだち)を身に着け終わった時に、すかさずヤマトタケルは、「じゃあ、大刀(たち)合わせでもしてみようか」と云う。


  ここにおのおのその刀を抜(ヌ)キし時、
  出雲建、詐刀(こだち)をえ抜(ヌ)カざりき


ということになってしまった。


「拭(ヌグ)ふ」というコトバを想うと、そういったシ−ンが生き生きと迫って来る。


これらのことは、19回目に話した人麻呂の歌、


  この岡に、草刈る小子(わらは)、然な刈りそね、
  ありつつも、君が来(き)まさば、御馬草(みまくさ)にせむ


で、「KM」の「駒、コマ」というコトバはオモテには出ていないけれども、「君、キミ」、「来ます、キマす」の音と「御馬草」とがそれを想わせ、そしてそれを想うことによってその光景がはっきりとしてくるのと同じ。     


人麻呂はその歌の「鎌を掛ける」の技(わざ)でもって、歌に出しては云わないけど、「駒、コマ」を想ってね、と云っているし、古事記は「NK,NG」と「TK,TG」の脈の中にあるこのくだりでは、「抜く」を三度も云っているのだから、「脱(ヌ)グ」と「拭(ヌグ)ふ」も想ってね、そして歌で「つづら多(さは)纏(ま)き、さ身無しに」とあって、それに「え抜かず」と云っているのだから、「柄、ツカ」というコトバも想ってね、と云っている。



ところで、この出雲建を討つくだりは、次のように始っている。


  すなはち、出雲国に入りまして、その出雲建を殺さむと
  欲(おも)ひて、到(いた)りまして、すなはち、
  友となりたまひき


ここで、「友となりたまひき」に関わる、もう一つの「NK,NG」のコトバがある。


  「和ぶ、ニキぶ」 (NK)


というコトバで、「馴れ親しむ」という意味。このあいだ云った「ニコやか」、「ナゴむ」、「ナゴやか」の「ニコ」、「ナゴ」と通うコトバ。


「馴れ親しむ」とは、云うまでもなく「川浴みに行くこと」や、「刀を交換すること」、又それゆえに、刀を解き、衣を「脱ぎ」ながらの談笑、そして川からあがって来ては、濡れた体を「拭い」ながら、衣を着け刀を佩きながらの談笑、ということもこのくだりの「和ぶ、ニキぶ」ということの中で想ってね、というのが古事記がわたしたちに預けたことなの。



「ウラ」のコトバは、大まかに云って、古事記の「オモテ」の記述に無い部分やシ−ンを補っている場合と、その話、くだりの状況、趣きを一言で言い表している場合とがある。
 


(「ヤマトタケル」、つづく)