7.「ウチ」=数「3」のこと


先回は「馬並(な)めて」のことを書いたけど、大伴家持(おおともの・やかもち)の次のような歌があるの。


    馬並めて、いざ打ち行かな、渋渓(しぶたに)の
    清き磯廻(いそみ)に、寄する波見に


「いざ打ち行かな」は「さあ行こう」。「磯廻」は弓なりに入り込んでいる浜辺。この歌の原文では「馬並めて」の「なめて」には「並」の字が使われていて、先回の万葉集第4番の「馬数而」のような「数」の字にはなっていない。


この歌で家持が「馬並めて」と詠む時、その気持ちの中には、「馬数而」の「数」のことがあると思う。


この歌には「打ち行かな」という風に「ウチ」というコトバがあるでしょ。それと、よく見ると、「ミ」という音が三つある。どこにあるかというと、磯廻(いそみ)の「ミ」、そして「波見に」には「なみ」の「ミ」と、それに「見に」の「ミ」との二つがあって、合わせて三つの「ミ」がある。


「やまと歌」では「ウチ」というコトバがあると、「ミ」という音がよく出てくる。「ウチ」と「ミ」とは「係り」の関係になっているの。


なぜかと言うと、トルコ語で「ウチ」というのは数の「3」のことだから。


「一、二、三」は「ひ、ふ、み」で、そもそも片仮名の「ミ」は「三」の字から来てるでしょ。やまと歌で「ウチ」が出てくると、数の「3」は例えば上の歌のように「見る」の「ミ」として出てくることもあるし、それに「三つ」ということで「ミツ」という音や、又そこから「ミヅ」(水)として出てきたりもする。


古事記の話の中でも同じで、「打ち」や 「撃ち」のコトバが出てくると、その前か後に数の「三」がそのまま「三度」(みたび)とか、「桃子三箇」(もものみ、みっつ)とかいう風に出てくる。古事記に親しんでいる人なら、ヤマトタケルの話のところで、「三度(みたび)嘆かして、吾妻(あづま)はや、と」のすぐ前に「待ち打ちたまへば」「打ち殺したまひき」と、「打ち」が二度重ねて出ていることが分かると思う。


そのトルコ語の「ウチ」は「üç」という風に書くけれど、上に点々が付いた「ü」は東北弁の「ウ」のような音で、「ç」は、「c」の下にヒゲのようなものが付いているけど、音は「リッチ・スパゲティ」(Ricci−)や「グッチ」(Gucci)の、そのイタリア語の「c」と同じ。「ウチ」は数の「3」、という風に覚えておけばいい。


ところで、「波見に」の「波」(なみ)は、実は「並めて」の「なめ」を承けていて、この「ナメ」「ナミ」の二つで「馬数而」(馬ナメて)のことを一層印象づけている。 


トルコ語「ウチ」=「数の3」は「やまと歌」や「古事記」の話の中でとても大事な役を果たしているので、次の回も又そのことを話すね。