5. エコ−と仮名二音とセリ(芹)


前に書いた「岡目八目」(おかめ・はちもく)では、「おか」を「オク」という音に通わせて、そしてその「オク」という音に呼ばれたように、その音に「こだま」するようにして、「オクト」(数の「八」)や「オクルス」(目)がやって来る。


それで、そういう場合、


 「オクト」(八)と「オクルス」(目)とが「おか」(岡、傍)の
「エコ−」(こだま)になっている、


という風に云うことにする。



「岡目八目」の例で分かるように、「エコ−」のコトバが呼ばれてやって来る時には、必ずしもそのコトバの丸ごと全部でなくていい。そのコトバの頭から「仮名で二音」だけ採って、それを「エコー」として招き呼ぶことができる。三音を取る場合もあるけど、それはごくまれ。


今私たちが外来のコトバを取り入れる場合、多くはそのコトバの「仮名二音分」だけ採る。「パソ・コン」、「ハイ・オク」、「ワン・セグ」、「アポ」、「オペ」、等々、という風に。


日本語、やまとことばの何が一番の特徴かと云えば、名詞ならば仮名にして二音のコトバが圧倒的に多いということ。「やま」「かわ」「そら」「くも」、「はる」「なつ」「あき」「ふゆ」、等々、云うまでもないことだけど・・



これにはちゃんとした理由がある。それは「オクト」や「オクルス」を、「仮名二音」(=仮名で二文字)でもって呼び寄せる、というその技法の名残でもあるけど、その前に、そもそもそういう技法そのものも、「やまとことば」の世界では、コトバ(詞)の採用にあたっては「仮名二音分」だけを採る、ということが基本になっていたからなの。


初めは「仮名」というものはまだ生まれてなかったけど、頭の中では「はる」「なつ」は「ハ・ル」「ナ・ツ」という風に、ちゃんと二つの音に分けられる。そうやって分けることができるから、「仮名」というものもできた。




次の例のような具合になっている、そのいきさつはおいおい話して行くけど、例えば万葉の昔からある「せり」(芹)ということばは、英語の「パセリ」(=「パ−スリ−」)の「セリ」や「セロリ」の「セロ」と親戚の間柄にあるコトバ。



「パセリ」はギリシア語の「ペトロ・セリーノン」(岩芹)がなまって「パースリー」という風に短くなった。「ペトロ」は「石油」の「ペトロ−ル」の「ペトロ」で、「岩」とか「石」のこと。「セロリ」も同じ「セリーノン」がなまったもの。やまとことばの「せり」(芹)は、英語の「パセリ」「セロリー」というコトバが入って来る千数百年くらい前に、ギリシア語から直接取り入れられている。


取り入れるその時に「セリーノン」という風には云わずに、しっぽの「ノン」を落として「セリ」という風に云うのは、今の私たちがやることと全く同じ。やまとことばでは昔も今も変わらずに、コトバはすべて簡単な短い形にして取り入れる、という習わし、クセがあるの。